新エネルギー新聞2005年2月21日号に、「水素社会へ一歩踏み出す」と題し、私のインタビューが掲載されましたので、ご紹介いたします。
「水素社会へ一歩踏み出す」
新エネルギー新聞2005年2月21日号に、「水素社会へ一歩踏み出す」と題し、私のインタビューが掲載されましたので、ご紹介いたします。
「京都議定書」が十六日に発効。日本でも基準年比六%削減に向け様々な分野が動き出した。なかでも「燃料電池」は今年世界に先駆けて商用化の時を迎えた。ここでは燃料電池議員連盟・幹事長として立法府の立場から日本の燃料電池産業の離陸に尽力して来られた古屋圭司衆議院議員にきいた。
<「燃料電池」推進を提言 五つの柱が現政策の基本に>
――先生は「燃料電池議員連盟」をお作りになったわけですが、
古屋 これは二十一世紀のエネルギー「パラダイムシフト」を考えると、やはり「水素」が基礎になると私達は考えているのです。
この「水素」によってパラダイムシフトは始まるんだというのを立法府としても議員連盟で応援して、現実に政府にも働き掛けて、それが予算にもつながっているし、プライベートセクターのいろんな研究開発についても、つながっていると思います。
実は、今から三年余り前、燃料電池を推進する議員連盟を立ち上げたのですが、その時、私が経済産業省の副大臣を務めておりまして、副大臣会議で、経済産業省、国土交通省、環境省の副大臣が知恵をだしあって燃料電池のプロジェクトチームを立ち上げたのです。
そしてわれわれは報告書を作りまして、この報告書を経済財政諮問会議に提言しました。
そして、当時の科学技術担当の尾身大臣と経済財政担当の竹中大臣、もちろん総理官邸にも、そういう提言を致しまして、これが正式に認知されました。
現在実際に政府が採っている燃料電池政策は、基本的にこの時の提言内容に沿っているんです。
それだけオーソライズされたもので、副大臣会議で、これだけのものを作ったのは多分初めてで、今もまだほかにはないと思いますね。
どうしてそうなったかといいますと、燃料電池というものに、たまたま小泉首相に非常に関心を示していただいた。小泉さんが総理になったのは二〇〇一年の四月ですね。二〇〇一年の十二月に、国会の中で初めて燃料電池自動車の試走会をしたんです。
これは国会開闢以来、初めてやったことなんです。国会開闢して百三十年ですが、まだ国会の中でデモンストレーションをやったことがなかったんです。それをやったんです。日産のゴーン社長やトヨタの張社長等々の皆さんがいらっしゃる席で、総理が「これはすごい。本当にすごい。すごいぞ。これは推進していくべきだ」という発言をされました。
私は、それを見て「よし、これは、こういう具体的なテーマなので、閣僚会議なんかで取り上げるよりは、むしろ副大臣会議でやってやれ」ということで取り上げました。
それは五つの項目からなっていますが、二十一世紀は「大規模集中型発電」から「地域分散型発電」に、エネルギー供給の大きなパラダイムシフトが行われていくんだというのが、われわれの基本理念でした。
まず、環境親和性。そして、科学技術立国ですから、クリーンエネルギーの提供という科学技術の分野で、世界に貢献をしていくという視点。
三番目は、新しい産業の創生。これは非常にすそ野の広い産業ですので、大手企業だけではなくて、ベンチャー企業をはじめとする中小企業も大きく参入することができる。われわれは、二〇二〇年には一〇〇兆円規模で産業が起きると試算したわけです。
ちょっと整理して、かいつまんで言いますと、まず、「官学連携」で技術を推進して確立していくということがあります。それから「実証実験」は、都道府県や市町村を含めた地方公共団体にも積極的に協力していただく。そのインセンティブを与えるということですね。そして、導入のためのインセンティブ等々。この五つが柱になっています。
<「分散型」が地方に活気 「愛知万博」で世界初の実験>
――その基本方針のもとで「施策」が行われてきたわけですね。
古屋 その基本方針で取り組んでいこうということで、政府も本腰を入れてやりました。二〇〇二年から〇三年にかけて、予算が倍増しているはずですね。
そうやって開発に必要な予算は、十分に盛り込まれるようになりました。
もう一つ大切なのは、燃料電池は今までの概念とは違い、規制がたくさんあったんです。
例えば建物から三メートル離せとか、トンネルは入ってはいけないとか、そういう規制が四十六ありました。
われわれは、これを少なくとも二〇〇五年の実用化の前までには、この規制をほぼ全廃しようという意欲的な提言をしました。
具体的には、消防庁や国土交通省をはじめとする関係省庁に大変協力をいただきまして、規制についてはほぼ全廃する方向で進んでいます。
目途がついてきたということです。私たちは、この燃料電池こそが、ある意味でふらふらの地方を救うことになるのではないかと思っています。 今、青森県の三村知事が相当熱心に「マイクログリッド」などに取り組んでいますが、今、こういう動きが全国の都道府県で同時多発的に芽生えてきました。
こういうものに対しても、国が戦略的に支援しておりますので、それが育ってくれば、地方全体としてエネルギーの供給構造が変わっていくことになっていくと私は信じています。
ちょうど一年前の通常国会で、私は自民党を代表して質問させていただきました。テレビでも放映されましたが、この時に、いかに燃料電池を推進していくことが大切かを訴えました。
今後「大規模発電」というのは立地などからもこれ以上の増大は難しいのではと考えています。 例えば原子力発電にしても、既に廃炉の時期を迎えているのがあります。
二〇一〇年のエネルギー長期需給見通しの中で、原子力発電を十三基新設しなければいけないことになっていますが、そんなことは立地などから現実には無理ですね。
一方では、「大規模発電所」になると、エネルギー伝達効率が六割ですから、良くありません。また一方で、高圧送電線なんかも、海岸部等々にあるのは相当な老朽化を避けて通れない。
リニューアルとか、そういう維持費のこと等を考えると、いずれは業務あるいは民生で、「小規模分散型」電源が必要になってきます。そのキーテクノロジーが燃料電池であると私は見ております。
そういう方向に必ず行くと思うし、政府も、そういう方向を目指していますし、産業界も取り組んでいるということです。
燃料電池に関して今、ガス会社が必死になって、いろ取り組んでいますが、これは「小規模分散型」にして、エネルギーの供給構造の転換をしながら取り組んでいくことで対応できると私は思っています。
また「分散型電源」の発展は地方の産業を大きく変えていくチャンスにもなります。
今、公共事業はどんどん減っていますが現実に橋を造るとか道路を造るという公共事業は、とても減りました。
しかし、科学技術駆動型の事業は増えているんです。実は今年、科学技術による地域活性化事業という視点で取り組んだ予算は、二〇パーセントから五〇パーセントに増えているのがあるんですね。 実証的にある地域を分散型電源によって活性化していこうというときには、われわれも、そういうものに対する支援を用意しておりますので、やる気のある首長さんがいる所は、大いにそういう方向で進んでいっていただきたいと思うのです。
結果として、このことが京都議定書の厳しい基準をクリアすることにもなるんです。民生と業務が一七パーセントと二三パーセント増えている。しかし、燃料電池は民生は、ほとんど燃料電池で賄えるんですが、特に業務分野ではCO2対策ということでは理想的です。燃料電池自動車も政府の方針では二〇一〇年に五万台と二〇〇万キロワットという数字を出していますけれども、私は、これは意外と前倒しで達成できる可能性が高いと思いますね。
今、車は各社が出し実際に水素ステーションも作ってやっています。いよいよ各社が技術を結集して展開し始めていますね。ホンダは、マイナス二〇度でもやれるということで、アメリカでは月五万円で貸しているのに、こっちでは八〇万円でリースするということです。そうやって実証実験もどんどん進んでいく。
一方で、例えば新しい総理官邸は今度の四月十一日にお披露目をしますが、これは一キロワットの燃料電池を二基入れて、官邸の電源は基本的に燃料電池になります。
今年の三月二十五日から開会される万国博覧会の政府館については、一九〇〇キロワットすべてを燃料電池で賄うことになります。だから、大規模発電所からの電力は、基本的にバックアップ電源だけということです。これは世界で初の試みです。
実は、これは私が副大臣の時に相当熱心に取り組みました。最初は、三分の一とか半分ぐらいなら何とかなると言っていたものですから、「そんなちまちましたことじゃ駄目だ。オール・オア・ナッシングだ。やらないなら一切やらない。やるなら一〇〇パーセントいかなきゃ駄目だ」ということで、当時の万博事務総長、あるいは経済産業省幹部の方には、汗を相当かいていただきました。 トヨタはじめ協力事業者の皆様にもいろいろご尽力頂き、実現します。世界に胸を張って発信できる初めてのことです。
<「燃料電池」研究の多角展開へ>
――三年前に、先生が中心になって、その辺りの種まきをおやりになったというのは本当に重要なことですね。
古屋 今年の予算も、三百五十四億円で、これはもう満額回答です。われわれが「これだけ必要だ」と思っていたのが全額、予算として認められています。
その中で、特に新規なのは、「高分子型燃料電池」です。新しい方向への開発費として、五十四億円増えました。「定置型燃料電池」の大規模実証実験も二十五億円です。
当面は家庭用に定置型を四〇〇台リースをつけて販売し、来年は一千台を増やします。その次の年は二千台を増やし一般家庭で「大規模実証実験」、をやります。
あとは一万台が次の目標ですが、一万台を作れば、もうこれは量産化といえます。
そこまでいけば、一台の料金はかなり安くなります。だから、そこまでは政府が徹底的に、しっかり支援していこうということで取り組んでいます。
もう一つ、先端科学分野でも異分野とのコラボレーションが大切なんですね。ぜひ異分野連携」を進めていこうということで、新たに五十四億円増えた中には、そういう異分野連携が入っています。
それから、これは金額的には意外と小さく、今年は十億円ですが、東京のお台場の「産総研」に世界から世界最高の頭脳を集めてきて、連携しようという計画がスタートします。
これは、お金は出しますけれども、口は一切出しません。
燃料電池研究に関し「お金は出すけれども、口は出しません。だから、世界の研究者は、最先端の技術で大いに磨きをかけて競ってください」ということで、アメリカのバークレーなどから優秀な人を招聘したり、そんな事業にもぜひ取り組んでいきたいと思っています。
この研究開発は民に徹底的にやってもらうためのものです。リスクの高いものについては、どうしても国が支援する。要するに、産官学の連携を大切にしていく場をつくります。
その中で、特にレアメタルの白金の代替材料の開発などは、国が八割、民間が二割出して、今、ずっと継続的にやっています。例えば車の触媒にも白金を使っていますけれども、今の燃料電池のスタックは、その百倍ぐらい白金を使っているんです。
だから、その量を今の触媒マフラー並みにしていけばいいわけです。あるいは、それに代わる代替材料を開発していけば、コストが革命的に下がりますね。
そんなことも、今、大体目途がつきつつあるという報告を受けています。こうして、二〇一〇年に本格的に立ち上げて以降は「水素エネルギー社会」が到来するのではないかと思っているのです。
もう一つ、われわれとして取り組んでいきたいのは海外です。なかんずくアフリカとか中国ですね。中国は今は石油の輸入国ですし、大変な工業化をしていますので、それによって化石エネルギーを使ったら、どれだけ地球環境に悪影響を及ぼすかは火を見るより明らかです。そういう所に燃料電池の技術指導をしていく。アフリカも人口が急増していますから、これから産業が起きていくということになったらどうなるか。これは地球規模で環境破壊につながることは明らかですので、そういう国に対しては、やはり日本の技術を教育していくことが必要でしょう。
今、ODA「質的転換」というのが叫ばれています。中国のODAも、橋を造ったり、道路を造ったりするお金を削り、技術支援に特化していっています。さらに技術支援に特化して取り組んでいくとき、そのキーテクノロジーは「燃料電池」になるのではないかなと思いますね。
<立法府から「戦略」を提言する>
――水素社会の到来の為にはいろんな規制がまだまだあるわけですから、本当にインフラから変えていくような力が必要ですね。その意味では官庁や先生方の力は大きいのではないかと思いますね。
古屋 その通りですね。特に、こうやって燃料電池の議員連盟を平沼会長のもとで作っていますが、経済産業大臣を三年半やっていますから、そういう意味での影響力はあります。燃料電池議員連盟は会長が平沼さんで、私は幹事長をしています。
そんなことで、立法府としても、「燃料電池」の推進にバックアップをしています。政府を挙げてやっている。ましてや総理大臣も、前向きに考えておられるのでそ民間のほうも色めき頑張って、しのぎを削って開発競争をしています。
私は、車に関してはは「燃料電池車」がどんどん普及していくと思います。水素ステーションがどんどんできていけば、それに比例して増えていきます。
こうして「水素社会」の目途も大体ついてきました。われわれが燃料電池プロジェクトチームで、はっきり提言していることは、規制によって開発とか普及にブレーキが掛かることは絶対あってはならないということです。 これは、われわれも非常に強調したことです。関係省庁、特にこういった規制がある警察とか消防庁とか国土交通省については、規制緩和に向けて非常に協力的に取り組んで頂いております。
今度平沼会長や私などが発起人になって「水素エネルギー産業会議」というができました。今までは、関連産業の立場、あるいは政府、立法府で、総合的な水素社会の構築を総合的に応援する組織というのはなかったんです。例えば燃料電池実用化推進協議会は、あくまでも業界団体が実用化をする為に集まっている会議で、総合的な戦略ということではないですね。 水素エネルギー協会も機能を限定しています。 その意味では、「日本水素エネルギー産業会議」は非常にいい視点だろうということで、世話人として入って、応援しようということになっております。
※このインタビューは、株式会社新エネルギー新聞社の許可を得て、「新エネルギー新聞」2005年2月21日月号より転載したものです。