カテゴリー:インタビュー・新聞記事等, 北朝鮮拉致問題
2013年01月16日
安倍内閣のもと拉致完全解決に向け活動開始。
今日、拉致問題担当大臣として鹿児島熊本に視察、お見舞いを致しました。
まず、市川修一さん、増元るみ子さんが拉致された、鹿児島の吹上浜を訪れました。
市川健一さん、龍子さんご夫妻とともに、当時車が放置されていたロータリー、サンダルが落ちていた場所等を視察しました。
二人は「浜の夕日を見に行く」と市内を車で出かけたあと拉致されました。当時、二人がどんな思いだったのか、その場景が生々しく思い浮かび胸がしめつけられる思いでした。
次に熊本へ移動。
熊本には、スペイン留学中にマドリッドにて拉致された松木薫さんのお母様スナヨさんが入院されています。
薫さんのお姉様文代さん、熊本県知事と共にお見舞いを致しました。
私がここを訪れたのには理由があり、大臣就任直後、官邸で家族会と安倍総理と共にお会いをした時文代さんと「お母様に会いに行く約束」
をし、一日も早くお見舞いをしたかったからです。
お母様は、91歳というご高齢の中、息子の帰る日を毎日待っています。
「薫を取り戻してほしい」と、必死に目力で訴えられたその思いを、私は強く受けとめました。
解決にこんなに時間がかかり、日本で待っているご家族が高齢となっている現状をみて、悔しい気持ちでいっぱいです。
・日本で待っているご家族が元気なうちに取り戻す。
・安倍内閣で拉致を解決する
・私が最後の拉致担当大臣となる
これが並々ならぬ私の覚悟です。
そのためには、ALL JAPANでの取り組みが必要不可欠です。
まずは、拉致問題対策本部の組織強化、与野党議員に協力をもらう。
NHKをはじめとするマスコミ、メディアに全面的な協力をもらう。
学校の副教材に映画「めぐみ」を必須化させる。
国民の皆様に一人でも多くの署名をいただき、集会にご参加いただく。
私も、ブログやFBで活動を報告していきます。
「日本は絶対に北朝鮮の拉致という国家テロを許さない」
来週からの安倍総理のASEAN各国訪問の際にも、「拉致」問題協力の要請をします。
いよいよ、拉致問題解決に向けて眦を決して動き出した。
北朝鮮に、そして世界に強烈なアピールをしていく、その先頭に立って取り組んでいく覚悟です。
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今日の閣議後の定例記者会見で、警察及び拉致関係について発表を致しました。
拉致問題について
・明日、拉致の現場を視察するために九州に出張。これは、政府をあげて拉致問題について取り組む一環で、今後積極的に地方に足を運び、視察や意見交換を行っていく。
・月内の拉致問題対策本部の組織、人事強化を目指し、閣議決定予定。その後与野党連携のための新たな組織を対策本部内に立ち上げる。目的は、オールジャパンで拉致問題完全解決に向けて取り組む姿勢を内外に示すこと。速やかに与野党への協力の呼びかけを行っていく。
警察関連の取り組むべき4項目の重点対策について、国家公安委員長として指示
・脱法ドラックによる交通事故などの事件の解決は、国民が安心して暮らすための喫緊の課題であるため、厚生労働大臣などと連携を図り、速やかな対応を行っていく。
・交通事故死について、年間交通事故死者数が減少しているにもかかわらず、高齢者に関しては増加の一途をたどっているため、数値目標をたてて高齢者対策を行っていく。
・暴力団対策では、平成24年度の補正予算では14億円の対策を要求しており、大宗となっている北九州の暴力団体対策費にその大部分を充てる。また、北九州の現地視察も近々に予定している。
・警察の不祥事が増えていることから、その徹底を行っていく。長官はじめとする幹部から、各署の警察官まで、皆が心を一つにして、この不祥事撲滅に力を入れていく。
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連日、大臣室に知事や市長などの地方公共団体の長が要望活動に来訪されています。
大臣室が、国家公安委員長室、国土強靭化・防災担当大臣室、拉致担当大臣室と3つもあるので、日程をやりくりして出来るだけそれぞれの要望に応じて面会しています。
今日は、鳥取県知事と仙台市長、そして私の地元中津川市長が来訪されました。
鳥取県知事は、拉致問題の解決とともに、特定失踪者についても調査徹底についての要望。
鳥取県知事は自らの発案により、すでに拉致被害者が帰国した際を想定して支援の予算化をするなど、拉致問題には関心をもって取り組まれています。
また、仙台市市長は、防災対応についての要望に来訪。先の総選挙で見事捲土重来を果たし当選した仲間の土井亨議員も同行されました。
私の地元である中津川市長は、平岩県議会議員、松浦市議会議長も同行され、国土強靭化の要望とともに大臣就任のお祝いの言葉もいただきました。
心から感謝。
これからも、地方公共団体の要望や意見など現場の生の声を積極的にお聞きして対応していきたいと考えています。
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安倍総理と官邸にて拉致対策本部の組織強化について相談し、今月下旬までに全ての手続きを終えて閣議決定を目指すことで一致しました。
閣僚全員がメンバーとして参加する体制に拡充すること、人事体制の強化、基本方針に被害者全員の帰国、原因究明とともに実行犯の引渡も加えること、等々。
目的は、政府挙げて「拉致」を安倍内閣にて早急に解決する確固たる意志を示すとともに、北朝鮮への「拉致問題が完全解決しない限り、一切の支援はない。」というメッセージを明確に示すこと。
この拉致対策本部は第一次安倍内閣の平成18年9月に立ち上げたものであり、いわば生みの親である安倍総理のもと、私も「最後の拉致担当大臣となる」という決意のもと眦を決して取り組んで参りたい。
産経新聞(1月8日)
北朝鮮が拉致を認めて今年で10年。
拉致議連、家族会、救う会を始め今回は初めて拉致問題地方議会全国協議会も共催で事実上オールジャパンの体勢で国民大集会を開催した。
大会には、野田総理、安倍元総理、石原東京都知事も出席した。
私も自民党拉致問題対策特命委員会委員長として自民党を代表して挨拶。
4年ぶりに日朝協議が始まったが北朝鮮は全く信用できない国であることは過去の歴史が物語っている。
拉致問題が完全解決への道筋がはっきりしない限り一歩の譲歩もすべきではない。
私は、次のような挨拶をさせていただいた。
お盆前の去る3日。私は衆議院の拉致問題特別委員会で玄葉外務大臣と松原拉致担当大臣に質問のあと、高島屋にて開催されている横田めぐみさんの写真展に行ってきた。何の罪もない人間を強引に拉致してそれ以来三十数年間自由を剥奪され精神的にも塗炭の苦しみを強いられている被害者の気持ちに思いをめぐらせ、絶対に拉致被害者全員を取り戻さなくてはと、改めて決意を新たにした。
4年前に北朝鮮は拉致の再調査を約束しながらいつもの常套手段でこの約束を反故にした。
今回は、10年の節目に日朝協議が4年ぶりに再開したが、4年前には拉致の再調査を約束しながら今回は「双方が関心を持つ事項を議題として広く議論する」が合意事項との報告だ。
「双方」に関心がなければ議題にもならないという事態の可能性だって否定できない。
なぜならば金正恩(キムジョンウン)は「拉致はもはや存在もせずその匂いもしない」と言い放っているのだ。
本当にこのような玉虫色の合意で拉致問題が議題になるのか、大丈夫なのかというのが今日出席した皆さんの共通の懸念ではないか。
遺骨収集という戦時中に発生した問題と、平時に発生した国家テロである拉致をうやむやにしようとの意図が見え透いている北朝鮮思惑には絶対に乗ってはならない。
具体的な且つ解決のための提案がない以上絶対に譲歩はダメ。
松原大臣はたびたび、被害者家族がお亡くなりになったあとで被害者が戻ってきても拉致問題の解決にはならないと発言。勇気ある発言だ。
即ち拉致問題解決に時間がないとの考えは北朝鮮に突きつけられたものであるとのメッセージだ。これは戦略的な発言だ。
私は、8月3日の衆議院拉致特別委員会にて、玄葉外務大臣に質問したが、最初は「時間との戦い」では一緒と答弁したものの、総理の下で拉致対策副本部長でありながら、発言に差があるのは問題と指摘すると、最終的に「松原大臣と全く共有している」との答弁。政府としての覚悟に疑問。対外的にも積極的に発言すべし。
本年4月13日に北朝鮮が世界の自制を無視して強引にミサイル発射を強行。
失敗に終わったが、自民党は、即日総理官邸に官房長官を訪問して、北朝鮮追加措置の要請を行った。しかしその後何の反応もない。
今、具体的に効果がある制裁強化策は、
・ 北朝鮮を仕向け地とする渡航の際の携行金の届出額引き下げと一回当たりと年間上限額設定。
・ 再入国禁止の範囲を朝鮮総連副議長5名にもその範囲を拡大すること。
6月の衆議院拉致特別委員会でも明らかになったことは、報告ベースで今年の1月~3月までは携行金額は月で数千万円。
しかし、4月にはその金額が2億円を超えている。なぜか、それは4月15日の金日成生誕100年記念行事のために朝鮮総連副議長5名らがエッチらオッちらと金を携行したことは明らか。
我々自民党は、ミサイル発射の直後にこの制裁強化をすべきと訴えたが残念ながら政府はその行動をとらなかった。
もし今回の日朝協議で拉致問題解決の具体的道筋が明らかにならなければ、最低限速やかにこのような制裁強化をすべし。
拉致議員連盟で連休にワシントン訪問時や拉致議員連盟総会、衆参の拉致特別委員会にてたびたび指摘した米国人拉致についても、引き続き米国側政府はもちろんのこと、上下両院の議員に対しても強力に働きかけて、米国人拉致を認めさせ米国と真の連携を図るべきであると考える。
もう一点、我々自民党拉致特別委員会としては、国連加盟各国に働きかけて、国連に「拉致問題に関する特別委員会」などの設立を目指すなど国際社会との更なる連携強化を図るべきと考えます。
過日国連人権理事会の強制的失踪者作業部会に藤田進さんの弟さんの隆司さんが参考人として意見をのべられました。自民党の特別委員会においても藤田さんから説明を受けましたが、一言で言うと国連の関係者は特定失踪者については、全く認識していなかったということ。即ち国連や国際社会への訴えがいかに大切かということと、今までそれが不十分であったということ。
自民党は、次期総選挙に向けて公約作業を進めているが、今私が申し上げた内容を盛り込むことで事実上決定。
金正恩を崩すには、日本がオールジャパンで拉致は絶対に許さないという覚悟と決意を伝えること。曽我ひとみさんの「絶対にあきらめてはいけない」という言葉の通り、結束して北朝鮮に厳しく対処すべし。
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自民党は今週末の6月17日(日)に、谷垣総裁はスカイツリー前(16日)、石原幹事長は新宿アルタ前(16日)など、全国約100ヶ所で「北朝鮮拉致問題の解決」を訴える一斉街頭演説を実施します。(一部は別日に開催)
私は、17日14時から岐阜県各務原市、16時から多治見駅北口で仲間と共に訴えます。
カテゴリー:北朝鮮拉致問題
2012年06月01日
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9時半から12時まで、衆議院拉致特別委員会を開き、参考人の意見表明と質疑を行った。参考人は家族会の飯塚代表と増元事務局長、救う会の西岡会長、福井県立大学の島田教授、特定失踪者調査会の荒木代表とその家族の竹内氏。
今日の委員会は、参考人の意見陳述のあと質疑者をきめずにフリートーク形式で自由な 質疑を行った。初めての試みであったが参考人の皆さんも自らの意見を表明することができたと一定の評価をしたい。
しかし、拉致問題が今だに解決しないこと については我々立法府に身を置く議員として残念に思う。しかし、既にブログやFBでも報告の通り、米国人の拉致被害者の存在が明らかになった今こそ、米国と真の連携をとってこの拉致問題解決に向けて北朝鮮に強く迫る正念場だ。
家族会の皆さんが「今年が勝負の年」と言われるように、それが現実のものとなるよう私達も 更なる米国の議員への働きかけをはじめ強力な議員外交を展開したい。なお、委員会の詳細は衆議院HPのアーカイブで見られます。
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3日目
今日は、ナイズ国務副長官をはじめ、米国人拉致が濃厚のスネドン氏の出身地であるユタ州選出のリー上院議員やマセソン下院議員、さらには拉致問題に以前から強い関心を持つシャボット下院議員(何と、時間の制約で議会の委員会室内にて行った!!)らと精力的に面会。
昼食を兼ねて議会公聴会で参考人として意見陳述するフライツ元CIA上席分析官と意見交換。
昨日からの面会を通していえることは、国務省はスネドン氏拉致について後ろ向きだということ。
かつての日本で拉致問題が表面化したときの政府対応と同様だ。
会談の際、キャンベル次官補が拉致問題と現在米国で懸案となっている「親権」にかかわるハーグ条約と同次元で発言したことが報道されたのは現在の国務省の姿勢を象徴している。
だからこそ議員からの国務省(政府)への圧力が必要で、 特にユタ州のリー上院議員はまだ当選一期目だが41歳の若手有望株で、家族会の飯塚会長や我々議連からの訴えに顔色を変えて真剣に話を聞いてくれて、スネドン氏の両親にも面会することを約束してくれた。いずれの議員もスネドン氏のことをあまり承知してなかったのが現実で、国務省は正確な情報を伝えていない可能性が高い。
面会したいずれの議員も民主、共和党問わず「保守」の議員であり、自国民の拉致=主権侵害、敏感に反応する政治家と期待し、政府がスネドン氏拉致を認めざるを得ない環境を議会主導でやってほしいと強く要請。
夕方からの記者会見は、1時間半以上に及び、外国人記者も参加して多くの質疑が行われた。
その際には、拉致問題の専門家である「救う会」会長の西岡教授や、副会長の島田教授らからスネドン氏拉致に至る詳細な説明がなされた。またメディアがこの米国人の拉致について正しく報道することが重要と訴えた。
写真は、シャボット議員との意見交換のあと、米国議会委員長席にて記念撮影。実 は、おそらく議会内の委員会室で会議を行った初めての国会議員だろう。